短編小説集





風の街
episode 03
車の中で、わたしは北区労働組合に電話をした。深夜でも電話は通じた。

「ご用件は?」

不愛想な男の電話番が言った。

「寿司のデリバリーです」

わたしが言うと、電話はすぐに保留になった。数分経ってトミーが出た。

「俺だ」

トミーはいつも通り短く言った。わたしは名乗りもしなかった。

「今からそっち行くから。シュウのことで話がある」

トミーは何も言わずに電話を切った。何も言わなかったということは、了解したということだ。

奇襲をしかけても相討ちになるだけだ。トミーと交渉する必要があった。

わたしにFBIがついていることはトミーも予想しているだろう。FBIに情報を流したとわたしを疑ったのが事の始まりだから。実際には、誰も裏切っていないというのに。

ローラたち組織犯罪対策チームの働きで、ガソリン税の脱税が暴かれそうになっていた。巨万の富を運ぶスキームの崩壊を前に、トミーは疑心暗鬼になっているのだ。

午前5時、ダウンタウンの5階建ての建物の前に立った。100年以上前に建てられた古いビルだ。当時流行っていたらしいヨーロッパ風の手彫りがエントランス一面にあしらわれている。

トミーは5階の自室にいた。わたしの来訪が告げられると、3階の事務室まで降りてきた。

「ひとりか?」

トミーの問いにわたしはうなずいた。

わたしの両脇には太っちょのアッコンチ兄弟がぴったりと張り付いていた。2人とも25口径のタウラスを握っている。最近ブラジルで発売された最新モデルだった。

「わたしは裏切ってないよ。兄さんはどこにいる?」

トミーは薄く笑った。

「殺せ」

アッコンチ兄弟よりわたしは速かった。すぐに身をかがめ、まずは弟に1発入れた。すぐに身体をひるがえし、兄にも1発。2人のうめき声を聞きながら立ち上がり、銃をまっすぐトミーに向けた。トミーはトミーで、30口径のトカレフを構えていた。

「わたしは裏切ってないけど、FBIの捜査は進んでる。逃げるなら今だよ」

トミーは顔色ひとつ変えなかった。すぐにわたしはかがんだ。それと同時に銃声が響いた。壁にいくつか穴が開いた。すぐに飛びのいて、壁際を走る。暖炉用の火掻き棒を手にとり、窓を割った。

外の冷たい風が一気に入って来た。身を乗り出して、脇の非常階段に飛び乗る。着地するときに頭がじんと痛んだ。衝撃で傷口が開いたかもしれない。後頭部に生温かい血がにじむのを感じた。

室内では慌ただしい足音が聞こえた。他のフロアから男たちが集まってきているのだろう。

「シュウの居場所は?」

「ナナも知らないらしい」

空いた窓から男たちの声が聞こえた。身を低くして、外階段を駆け下りる。窓から飛んでくる銃弾が外階段の手すりに穴を開けた。そのまま走り去り、ローラの車に駆け込んだ。

「シュウはここにはいない。車を出して。大通りに出るの」

ローラはすぐに発進した。それと同時に、他の車からは捜査員が降りてきて、一斉に本部のある建物へ向かっていった。捜索令状は緊急にとってあるらしい。

ローラの運転は荒いが上手かった。すぐにウェストウッドラーンを抜け、シカゴ大学北の大通りまで車をとばした。周囲のビルの明かりは消えている。街灯だけが間隔をおいてぼうっと立っていた。

道の先に鉄橋が見えた。シカゴ川にかかっている鉄橋だ。

「そうか、ミシガン・アベニュー橋か」

言葉が自然と漏れた。

「もっと北。ミシガン・アベニュー橋に向かって。母さんはあそこで死んだ。兄さんはよくあの場所を訪れていた。最期に行く場所としたら、あそこだ」

ローラはハンドルを左に切り、北へ向かった。

が、すぐに街灯の脇に車をとめた。

「ちょっと、何してるの。急いで」

時間はない。妻子を失い、組織に追われ、シュウは自暴自棄になっているはずだ。その状況に耐えて逃げ続けるだけのタマではない。

ローラはブレーキに足を置いたまま、首だけこちらを見た。

「あなただけ保護します。証人保護プログラムに従って、証言をして」

「はあ?」

いらいらして訊き返した。

「何言ってんの。早く車を出して」

「シュウはもう手遅れよ。シュウを追ってあなたまで失うわけにはいかない」

「早く車を出して」

わたしは拳銃を取り出して、ローラの横顔に突き付けた。ちょうど数時間前、シュウがわたしにそうしたように。

「我々の保護のもと、まっとうに生き直しなさい。住居は用意する。証言に対する謝礼金も出る。あなたは再スタートを切れる。まだ若いんだから――」

「あんたみたいな白人女には分からない。学のないアジア系女性に何ができる? 一日じゅうチャーハンを作るハメになるよ。そんなのはごめんだ」

沈黙が流れた。窓を叩く風だけがちりちりと音を立てていた。

生まれたときからファミリーだった。逃れようのない運命だ。この街に吹き荒れる風のように、わたしの人生には常に暴力と死がまとわりついている。からからと風を受けて回るルーレットによって、偶然生かされているにすぎない。

ローラはわたしの目をじっと見た。

「シュウを助けたら、あなたも保護されるの?」

「さあね。トミー次第かな。わたしはトミーを裏切らない」

「どうして? トミーが先に裏切ったのよ」

「どうしても、だよ」

<続く>
AUTHOR
新川帆立 (しんかわ ほたて)

2020 年『元彼の遺言状』で第 19 回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞。
最新作は 2021 年 10 月 6 日発売の『倒産続きの彼女』。東大卒の元弁護士であり元プロ雀士という異色の経歴を持つ新進気鋭の小説家。