短編小説集





風の街
episode 02
表の吹雪は収まるところを知らなかった。

オルランドからもらったコートに身を包んでも、外に出ている耳や首が切れるように痛い。だがそのぶん、包帯を巻いた頭の痛みは次第に気にならなくなった。

乗り捨てられたトヨタ車の中に戻り、真っ白になったフロントガラスに解氷剤をかける。エンジンを入れると、ぶぶんぶぶんと車が無理をする音が聞こえた。外は氷点下だ。ウィンドウォッシャー液は凍りかけているらしい。

暖房が効き始めたのを確認してから、携帯電話を取り出した。

覚えている電話番号を入力し、発信する。

「もしもし。わたし、ナナ・イトーです」

「――」

電話口で相手方は絶句している。まさか捜査対象者から電話があるとは思っていなかったのだろう。こっちは相手の電話番号だけでなく、住所、家族構成、趣味に好物まで知っているというのに。

「あなたが追ってるファミリーの、ナナですよ。ローラさん」

「どういうこと?」

深夜2時過ぎに叩き起こされたにしては冷静な口調だった。

わたしはローラに状況を説明した。兄のシュウに撃たれたこと、シュウを保護してFBIに引き渡したいこと、シュウを捕まえれば芋づる式にファミリーを検挙できること。

「シカゴ市警に応援を頼むわ」

「それはダメ。シカゴ市警の刑事部長は金をもらってる。マフィア側に情報が筒抜けになるよ。だからFBIのあんたに電話したんだ」

ダウンタウンの南側、チャイナタウンに借りっぱなしにしている安アパートがある。わたしのようなアジア系女性が目立たずに出入りするにはかっこうの立地だ。ローラとはその部屋で落ち合うことにした。

1時間後には、黒いダウンコートを着た白人女性が現れた。腰回りのふくらみを見るに、小型の拳銃を2丁持っているようだ。

「その怪我どうしたの?」

ローラは開口一番に言った。

「だから兄さんに撃たれたんだって」

うんざりしながら答えた。同じ話を何度もするのは嫌いだった。

「すぐに病院へ行かないと」

「もう傷もふさがりかけてるよ。触ってみる?」

後頭部を向け、包帯を少しめくって見せた。ローラの眉間にしわが寄った。

「兄さんは暗殺に失敗したことをまだ知らないはず。たぶん自宅か本部にいる。本部にいるなら諦めるしかない。あそこは見張りが複数いるし、わたしたちが兄さんを捕まえる前に、あいつらが兄さんを捕まえるだろうから」

シュウの家はここから5分もかからない。妻と、2歳の息子とで暮らしているはずだ。ローラはすぐに司法省に電話して、緊急逮捕の手配を整えてくれた。

午前4時、5人のFBI捜査官と連れ立ってシュウのアパートへ向かった。部屋の鍵は持っている。甥っ子のリュウと遊ぶためによく訪れていたからだ。

ドアは静かに開いた。廊下の明かりは消えている。親子3人で寝ているのかもしれないが、妙に静かだ。カチリ、と金属がぶつかるような音がした。

「伏せて」

言うと同時に、破裂音がした。バンバンバンという頻度ではない。ドドドド、と地鳴りのような音だ。ピストルではない。自動小銃で連射している。後方で人が倒れ込み、呻く声がした。避けそびれた捜査官がいるのだろう。

床に這いつくばったままほふく前進をした。シュウたちはおそらくいない。シュウはもっぱらピストル派で自動小銃なんて持っていなかった。あれは狩りをする田舎者が使うものだと馬鹿にしていたのだ。

わたしが生きていることにシュウは気づいたのかもしれない。それで妻子とともに逃亡した。シュウの逃亡をきっかけに、組織もわたしの生存に気づいた。シュウのもとへわたしが戻ると踏んで、待ち伏せしていたのだ。

シュウはうまく逃げおおせただろうか。

冷酷に光るトミーの目を思い出した。ハンサムなイタリア男だ。愛想よく近づいてドンと一発かます。殺された側は殺されたことにすら気づかないかもしれない。シュウと同じ35歳だが、肝の座り方が全然違う。大ボスである父の基盤を継いで、今はもう北区の元締めだ。ガソリン税の脱税と違法賭博、ドラッグの売買で月に何百万ドルも稼ぎ出している。

廊下の先、暗闇の中をじっと見つめた。突き当りはリビングルームだ。大きなソファの影が段々と見えてきた。自動小銃の先がソファの上から突き出している。人の頭だけ、ソファの背からのぞいているのが見えた。

わたしは慎重に腰に手をまわし、ピストルを抜いた。這いつくばったまま腕を伸ばし、狙いを定める。安全装置を外した瞬間、カチッと音がした。人影がこちらを見る。すぐに撃った。撃たなきゃ撃たれるのだ。

ゴリッ、と誰かの骨が砕ける音がした。それきり、自動小銃の発射音はやんだ。ほふく前進でリビングの入り口まで進む。ドアから顔を出した瞬間、銃を構える人影がすぐ脇にいた。素早く銃を向ける。迷いなく撃った。祖父の教えはこうだ。やるときは息の根をとめるまでやれ。そうしなきゃ、一生追われる身になる。

耳をすます。後方からFBI捜査官たちの息だけが聞こえた。中腰になって立ち上がり、リビングルームの照明をつけた。

そこには4つの死体が転がっていた。自動小銃を持った男、拳銃を持った男、そしてシュウの妻と小さなリュウだ。2歳になったばかりのリュウは無残にも、額に1発弾がぶち込まれていた。驚いたように目を見開いている。誕生日にバルーンをあげたときと同じ、丸い目だ。

「シュウは?」

後方からローラの声がした。

「いない。逃げたのか、捕まったのか……」

「本部に行きましょう」

驚いて振りかえった。ローラはいくつかの死体を越えて、こちらに歩いてきた。

「本部には見張りが何人もいるし、乗り込んだところで――」

「こっちも捜査員を増やす。マフィアの本部に立ち入れるかっこうの機会なんだから」

ローラは拳銃を握りしめたまま微笑んだ。

<続く>
AUTHOR
新川帆立 (しんかわ ほたて)

2020 年『元彼の遺言状』で第 19 回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞。
最新作は 2021 年 10 月 6 日発売の『倒産続きの彼女』。東大卒の元弁護士であり元プロ雀士という異色の経歴を持つ新進気鋭の小説家。