短編小説集

“あたたかな潤いが湧きだす白い世界。トルコ パムッカレ”

The beautiful colors I met on my journey.わたしが出会った、色の記憶。

《Clearginoスペシャルエッセイ企画》
第四弾は小説家 西尾 潤さんからの手紙。
脈々と湧きでる温泉が長い年月をかけて創りだした、輝く綿の城パムッカレ。
空のブルーと白い⽯灰棚、悠久の古代ローマに誘われる旅。

ESSAY #004

足元から照り返す光の眩しさに、思わず目を瞑った。
かつて出会ったことのない、煌く白い光景がそこにはあった。想像を超えた地球上の白い宇宙。
日本から遥か8,574キロ先に位置するトルコ、イスタンブールにその白い世界は広がっていた。
イスタンブールに到着して、車を走らせデニズリに入ると「白い奇観」として有名な世界遺産・パムッカレに出会うことができる。
炭酸カルシウムを含んだ温泉が⼭肌を流れ落ち、⻑い年⽉をかけてできた100以上の白い⽯灰棚が「奇観」という⾔葉に応えるように、不思議な白く丸い棚を形成している。
パムッカレとは「綿の城」という意味を持つが、これは元々その地が綿の生産地だったことから名付けられているという。
神々しい白い棚⽥の水面は、昼間は空の色を受けてブルーに光っている。そこから静々と流れ落ちる温泉⽔。
およそこの世のものとは思えないほどの、幻想的な景観だった。

最近は景観保護の為に入場が制限されているが、制限内で人々は裸足でその白い棚⽥に立ち、歩き、中に溜まった温泉に素足を踏み入れることができる。
近年稀に見る寒波がイスタンブールを襲った冬に訪れた私は、震えながらその棚⽥の上を歩いていた。
冷たさが骨を掴んで離さないような寒さだった。
数匹の犬はのんびり白い地の上でへたり込んでいたが、足元から直に伝わる冷たさは尋常なものではなかった。しばらく歩き、ようやく温泉に足をつけたときには、その地熱に心から感謝した。
身体中のエネルギーを瞬間的に蘇らせた感覚を鮮明に覚えている。さながら白い魔法が足元から湧いていた。
パムッカレの向こうには、ヒエラポリスというもうひとつの世界遺産が控えている。
「聖なる都市」という意味を持つ、紀元前190年にペルガモン王国の都市として建設された古代都市。
そこを覗くと、古代ローマ人たちが利用した、一度に1,000人が入浴できたという大浴場跡や、迫力の円形劇場があり、その姿は悠久の時を超えてもなお偉大な存在である。
無観客の円形劇場にひとり立ち、かつての古代ローマ人たちの熱狂、歓喜に思いを馳せると、もうひとつの魔法が体の中に入り込んでくるような気さえする。
さらに足を進めると、パムッカレ・テルマルという温泉施設がある。この温泉の最大の特徴は、温泉の下にそのままヒエラポリスの遺跡が沈んでいるということだ。
温泉⽔の透明度が高いゆえにわかりにくくはあるが、一番深いところは⽔深7メートルにもなるという。
溺れることには注意しなくてはならないが、温泉に浸かりながら神殿の跡を眺めることができるという、まるで夢のような温泉なのである。

私は⽔着に着替え、体を温めながらしばし大理⽯の柱に腰を下ろした。緩めの、柔らかく透明な温泉⽔に体を浸し、自分の手足を労ってやる。
古代ローマの人々の癒しや、女性たちの美しさをこの温泉が支えていたに違いないなどと想いを巡らせた。
温泉を出ると、バッグから白い容器を取り出した。クリアなジェルをせっせと素肌に滑らせる。
それは夏も冬も変わらない、外国の激しい日差しに負けないようにと、友人から託されたもの。
天から降り注ぎ、地からは照り返される紫外線の攻撃をかわし、肌を守る力を蓄え、メラニンを抑制してくれる魔法のジェルだ。
そのジェルは受けた白を閉じ込めるかのように、肌の上に滑らかに広がった。両手で頬を包み込み、鏡を見る。
温泉⽔の透明さと、⽯灰棚のように輝く白い肌をイメージして思わず微笑んだ。
服を着て、ブルーに輝く白い棚⽥の景観を再び眺めに、パムッカレに戻った。
時刻は夕暮れ。遠かった太陽は、もうすぐ地平線に沈もうとしている。
さっきブルーに光っていた淵の⽔⾯が、今度は息を飲むような、見事な⻩⾦⾊に染まっていた。

AUTHOR

西尾 潤(にしお じゅん)
小説家/ヘアメイク・スタイリスト 大阪府出身。『愚か者の身分』で第二回大藪春彦新人賞を受賞してデビュー。受賞作を含む『愚か者の身分』(徳間書店)が刊行中。 Amazon.co.jpでも絶賛発売中